現代の日本の一般的なお墓である家族墓はいつどのようにして広まったのかご紹介します。
家族墓は1923年に発生した関東大震災からの復興を契機にまず東京で普及しました。
震災からの復興に際し土地の区画整理事業が行われ、その一環として従来の1人ずつのお墓より省スペースで、しかも耐震性、耐火性のある家族墓が東京市(当時)の主導で導入されたのが始まりです。
火葬の普及と、条例で墓石が企画化され価格面でも手が届きやすくなったこともあり、
東京中心部から東京郊外へと広まっていきました。
この新しいスタイルのお墓に対しては、遺骨が土に還らないなどの理由で‟墓相”が悪く、家運の衰退を招くという反対意見もみられたそうです。
しかし都市部においては事実上、家族墓以外の墓を建てることがもやは困難となっており、
太平洋戦争後、戦災からの復興を契機に各地で墓地移転事業が行われ日本全国へと広まったそうです。
出典:問芝志保『家墓と家墓批判の歴史社会学』
改めてお墓の見直しが始まっているこん日、これからのお墓のあり方を考える参考にしていただけましたら幸いです。
火葬について詳しく知りたい方は、こちらもあわせてご参照ください。
両墓制というお墓のかたちがあり、現代の日本でも一部の地域で存続しておりますので紹介させてください。
現在日本では、埋葬・埋蔵する場所と霊を祀り石塔を建てる場所が同じである単墓制が
一般的です。
従来の「○〇家の墓」は勿論のこと、近年の樹木葬なども単墓制であり、
お墓というのはこういうものだと思っておりました。
しかしかつて、土葬が主だった頃には、埋葬する場所と石塔を建立する場所を別に設ける習俗が近畿地方を中心に全国各地にあったそうです。
埋葬場所は人里離れたところにあり、そこに石塔は設置されません。
そして人里近い寺院や家ごとの墓地、村落の共同墓地などにお詣り用の石塔が設置されるのです。
この両墓制は火葬の普及とともに次第になくなっていきました。
しかし奈良県のある地域では火葬が普及した現在でも、両墓制が堅持されている事例があるそうです。
(2018年調査)
当地において両墓制が存続している理由は村落に神社があり、神社に対する崇敬の念から埋葬場所は村落の外に設けたいとする意識が働くからとのことです。
出典:両墓制の終焉と伝統の護持(朽木量著)
日本人の多様な死生観をうかがい知る一助になれば幸いです。
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